東京地方裁判所 昭和40年(行ク)3号 決定 1965年4月22日
申立人
健康保険組合連合会
右代表者会長
安田彦四郎
申立人
安田健康保険組合
右代表者理事長
安田彦四郎
申立人
保土谷化学健康保険組合
右代表者理事長
蟹江茂男
申立人
全国食糧健康保険組合
右代表者理事長
梶原茂嘉
申立人
三井健康保険組合
右代表者理事長
御手洗修
右申立人ら代理人弁護士
前田弘
同
松本栄一
同
島内龍起
被申立人
厚生大臣
神田博
右指定代理人
青木義人
(ほか五名)
主文
1、申立人安田健康保険組合、同保土谷化学健康保険組合、同全国食糧健康保険組合及び同三井健康保険組合の申立てに基づき、被申立人が昭和四〇年一月九日厚生省告示第一〇号をもつて「健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」(昭和三三年六月三〇日厚生省告示第一七七号)の一部を改正した行為並びに被申立人が昭和四〇年一月九日厚生省告示第一一号をもつて「看護、給食及び寝具設備の基準」(昭和三三年六月三〇日厚生省告示第一七八号)の一部を改正した行為の各効力を、右各申立人に対する関係において、昭和四〇年五月一日から本案判決の確定するまで停止する。
2、申立人健康保険組合連合会からの申立てを却下する。
3、申立費用のうち、申立人健康保険組合連合会と被申立人との間に生じた部分は右申立人の負担とし、その余の部分は被申立人の負担とする。
理由
(当事者双方の主張)
第一、申立人ら訴訟代理人は、「被申立人が昭和四〇年一月九日厚生省告示第一〇号をもつて健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法の一部を改正した処分並びに被申立人が同日厚生省告示第一一号をもつて看護、給食、及び寝具設備の基準の一部を改正した処分は本案行政訴訟事件の判決確定までいずれもその効力を停止する。」旨の決定を求め、その理由を次のとおり陳述した。
一、申立人健康保険組合連合会は健康保険法(以下、単に法という。)第四二条の三の規定に基づき健康保険組合が共同してその目的を達するため設立された法人であり、申立人各健康保険組合は法第二二条、第二六条により健康保険の保険者たる法人である。
二、被申立人は、別添官報記載のとおり、
(一) 法第四三条の九第二項の規定に基づき、昭和四〇年一月九日厚生省告示第一〇号をもつて、「健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」(昭和三三年六月三〇日厚生省告示第一七七号。以下、旧告示第一七七号という。)の一部を改正するとともに、
(二) 旧告示第一七七号に基づき、昭和四〇年一月九日厚生省告示第一一号をもつて、「看護、給食及び寝具設備の基準」(昭和三三年六月三〇日厚生省告示第一七八号。以下、旧告示第一七八号という。)の一部を改正した。
(以下、特記しないかぎり旧告示第一七七号、同第一七八号を総括して旧告示といい、これを改正する右両告示を本件告示という。)
三、法第四三条の九第一、二項によれば、保険医療機関又は保険薬局(以下、保険医療機関等という。)が被保険者に対する療養の給付に関し保険者に請求することができる費用の額は厚生大臣の定めるところにより算定した療養に要する費用の額から一部負担金に相当する額を控除した額であり、また法第五九条の二によれば、被保険者の被扶養者が保険医療機関等につき療養を受けたときは、保険者は家族療養費として実費の半額を限度としながら法第四三条の九第一項の例により算定される療養に要する費用の額の半額を被保険者に支給するか又はこれを保険医療機関等に支払わなければならない。
しかるに、被申立人は本件告示により別添官報記載のとおり療養に要する費用の額を増額したから、保険者の支払負担がこれにより増大し、保険者が不利益を受けることは明らかである。
四、しかるところ、本件告示は左の理由により違法である。
(一) 本件告示には法定の必要手続を履践しなかつた違法がある。
健康保険法上の医療に関し保険医療機関等が保険者または被扶養者に請求し得る報酬金の額(法第四三条の九第一項、第五九条の二第一項ないし第三項)は、法第四三条の九第二項により厚生大臣が定めるものとせられる。しかし法第四三条の一四第一項は厚生大臣がこの定めをする場合には中央社会保険医療協議会(以下、中医協という。)に諮問すべきものとする。(中略)
中医協の組織、職能ならびに存在理由は右のとおりであり、また医療報酬金の本質が医療行為に対する対価であつて、それは医療者と医療依頼者(支払者)との間の約定支払金たる性質を有するものであり、契約当事者外の第三者が契約当事者の意向を無規してみだりに専断的にその額を決定し、またはみだりにこれを干渉すべき筋のものでないこと前述のとおりであるから、厚生大臣が法第四三条の九第二項により医療報酬金に関する定めをするには必ず中医協に諮問して医療者代表と支払者代表との協定による適法な答申を得ることを要し、その答申はこれに違法または著るしい不当がないかぎり尊重しなければならないものであつて、厚生大臣が適法な諮問を行なわず(審議に必要な時間を与えないで答申を要求するがごときは適法な諮問ではない。)、また適法な答申なしに(協議当事者の一方側の意見を無視した会長の答申あるいは報告は適法な答申ということはできない。)、あるいは答申に反して、もしくは答申と異なつてみだりに独断的に報酬額に関する定めをすることは、専制的に他人間の、また国民一般の金銭的利害を左右するものであつて、わが現行法上許されない違法である。
(1) 被申立人は本件告示に関し昭和三九年一二月二二日中医協に対し厚生省発保第五八号諮問書をもつてこれを諮問したが、右諮問は無効である。けだし、右諮問は本件告示の内容からも明らかなとおり、諮問事項が複雑多数であり、しかも医療報酬請求者側と支払者側の間においてその金額一カ年金一、〇〇〇億円(後述の社会保険診療報酬支払基金取扱分だけでも一カ年金四三〇億円)に及ぶ医療費の増額支払をするかしないか、あるいはその支払金額をいかに定めるかを団体契約的に協定させることを実質的内容とするものであつて、利害の対立する各側代表委員間において当然に激烈な争いを生ずることの必然的な諮問であるから、その審議には相当の日時を要することは明らかであつた。したがつて本件諮問についてはその審議に相当長期の時間を与えて答申を求めるべきであるのに、被申立人は右諮問案の実施に数日を争うような緊迫性の存在もなくまたあり得ないにかかわらず、審議期間を旬日内に限定して(すなわち昭和四〇年一月一日実施を意図しながら諮問書を提出したのが昭和三九年一二月二二日である。)中医協の答申を要求した。そして同年一二月二九日公益委員の辞任により昭和四〇年一月八日まで中医協の審議は不能であつたにもかかわらず、その後単に一月八、九両日の懇談のみで、被申立人は中医協の答申を得る見込みがないとして、その答申なしに本件告示をした。これは被申立人が審議の実行不可能な期間を定めて答申を要求したものにほかならず、適法な諮問ではない。したがつて、被申立人は必要な法定手続を履まないで本件告示をしたのであり、本件告示はこの点において違法である
(2) また、被申立人が昭和三九年一二月二二日中医協に提出した諮問書は前述のとおり諮問事項が複雑多数であり、その審議には相当の日時を要するものであつた。そして、これについて、政府委員一名を除く支払者代表全委員七名は、なお考慮検討を要する点があつたため、昭和四〇年一月九日中医協の会務を総理する会長(協議会法第一七条第二項)に対し一月一二日まで中医協の再開の延期を申し入れた。しかるに、中医協会長はこの申入れを無視し、適法な協議会を開くことなく、協議会法第一四条第一項所定の諮問に対する適法な答申ではない報告書を作成し、一月九日これを被申立人に提出した。被申立人はこの間の事情を知りながら、または少なくともこれを知りうべき状態にありながら、漫然即日本件告示をした。これは諮問に対する適法な答申なしに、換言すれば履践すべき法定の手続を履まないで、独断的に本件告示をしたものにほかならないから、本件告示はこの点においても違法である。
(3) 被申立人は本件告示をなすに至るまでの経緯をあれこれ述べ、診療報酬を緊急是正する必要があつたから本件告示は適法であると主張する。しかし、本件告示までの経緯は被申立人の主張にもかかわらず実際は次のとおりである。(中略)
(二) 被申立人が本件告示をしたのは昭和四〇年一月九日であり、しかもこの告示を掲載した官報は同月一二日以前には配達することができないものであつて、東京において申立人らがその配達を受けたのは同月一三日であり、遠隔地における配達日時はその後区々であつたに相違ないにかかわらず、被申立人は保険者が支払うべき費用については本件告示を昭和四〇年一月一日から適用するものとした。これは、その被適用者である保険者の不知不承諾のうちに行政処分の効力を保険者の不利益に既往に遡及させ、保険者と保険医療機関との間に過去において確定していた多数の支払金に関する法律関係を破壊し、理由なく申立人各組合を含む保険者の財産を侵害するものである。したがつて、本件告示は違法である。しかも、本件告示は昭和四〇年一月一日に遡及して適用する旨定めたことが違法となるため、結局右告示の実施時期について適法な定めを欠くことになり、本件告示全部が違法となる。
被申立人は、健康保険組合の財産は公的財産であるから、医療機関の経済的安定と各月分一括翌月請求という支払基金における支払事務上の要請による本件告示の遡及適用は違法でないと主張する。しかし、健康保険組合は事業主とその使用人をもつて組織せられ、その支出金によつて運営せられるものである。したがつて組合が公法人であり、その財産が公的性格を有するものであるとしても、実質的にはそれは各企業体と密接不可分の、いわばその附随的な法人であり財産であつて、私人たる所属組合員のための財産であり、国の財産ではない。換言すれば、それは直接国家目的一般のために存在する財産でもない。また支払基金の支払事務の円滑化に資するために存在する財産でもない。したがつて健康保険組合の財産がそのような他人の利益のために犠牲とせられ、被申立人の一片の告示によつて過去に遡つて没収的に損害せらるべき理由はどこにもない。
被申立人は本件告示の遡及実施について、過去にその実例ありとし、また、これについては支払者側委員の同意的発言を考慮したとも主張する。しかし、それは被申立人が許されない違法(遡及実施措置)を重ねたことを自白しただけのことであり、また支払者側委員が八%以上について違法の遡及を認容していたとしても、これがために被申立人が行なつた遡及処分の違法性が治癒するわけのものではない。
被申立人は、さらに、施行日の定めのない告示は公示により直ちに施行せられる趣旨であると主張する。しかし、施行日の定めのない告示は、それが権利義務に関する定めを内容とするものである限り、ことに本件告示のようにそれが利害対立者(医療報酬金請求者と支払者)間の権利義務(支払金額)の定めを内容とするものであり限り、その施行日が不明確であることは関係者の権利義務を不明確にすることとなるから許されない。換言すれば施行日の定めは本件告示において必須の内容をなすべきものであり、この要件を欠く本件告示は無効のものである。(中略)
(三) 本件告示は法第五九条の二第二項の規定に違反し違法である。
(3) 被申立人は別添官報記載のとおり昭和四〇年一月九日厚生省告示第一〇号を以て療養に要する費用の算定方法を改定してこれを増額し、保険者の支払う費用については昭和四〇年一月一日から、保険者以外の者の支払う費用については同月一四日から適用するものとした。換言すれば、保険者でない者の支払う療養費用、例えば被保険者の扶養家族の支払う療養費用は一月一三日までは従来の低額(例えば八〇〇円)により、一月一四日以後は改定高額(例えば一、〇〇〇円)によるべきものとしたが、保険者の支払う分は一月一日より一律に改定高額(一、〇〇〇円)によるべきものとした。
(2) ところで、法第五九条の二第一項ないし第三項によれば、被扶養者が保険医療機関等の療養を受けたときは家族療養費が被保険者に支給せられるが、その家族療養費の額は療養に要する費用の半額とせられ、なお現に支払うべき療養に要した費用すなわち実費の半額をこえてはならないことになつており、そしてこの療養に要する費用の算定に関しては法第四三条の九第一項の療養に要する費用の算定の例によることになつている。
(3) さて、前例によれば、一月一三日以前に診療を受けた家族の療養に要する費用は低額(八〇〇円)である。したがつて保険者が支出すべき家族療養費は法第五九条の二第二項の規定によりその低額の半額(四〇〇円)であつて、一月一三日以前受診分についてはこの額をこえることは許されない。
(4) しかるに、被申立人は本件告示において、保険者の支払うべき分については療養に要する費用の改定算定方法即ち改定高額(一、〇〇〇円)の定めを一月一日に遡り適用するものとした。これは家族療養費として保険者が支払うべき金額を一月一日に遡り改定高額(一、〇〇〇円)の半額すなわち五〇〇円としたことになる。しかし一方本件告示は前述のとおり一月一日より一月一三日の期間において家族等被扶養者の療養費の額は従前の低額によるべきものとするから、法第五九条の二第二項但書により保険者は右期間の分について改定高額による支払をすることができない。したがつてこの点において被申立人の本件告示は法第五九条の二第二項但書の規定に違反する。
五、本件告示の効力停止の必要性並びに緊急性について
(一) 保険医療機関及び保険薬局の療養の給付に関する費用の請求に関する省令(昭和三三年一〇月一三日厚生省令第三一号。以下、単に省令という。)によれば、保険医療機関等が診療報酬金を保険者に請求する場合には、各月分につき翌月一〇日までに同省令所定の様式による報酬請求書に報酬請求明細書を添付してこれを当該保険医療機関等の所在地の都道府県の社会保険診療報酬支払基金事務所(以下、支払基金という。)に提出しなければならない。支払基金は健康医療機関等から請求書の提出を受けたときは社会保険診療報酬支払基金法(以下、支払基金法という。)第一三条に基づき、これを審査したうえ保険者からの受託金をもつてその支払をする。
(二) 支払基金が昭和四〇年一月に公表した昭和三九年五月診療分統計によれば、わが国において支払基金から支払を受けた医療機関(国立、公立の病院、個人診療所等)は、歯科を含めてその数九万、一カ月の支払基金の取扱件数は二、〇〇〇万件、その支払総額は金三八〇億円に達し、そのうち申立人らの支払件数とその金額だけでも次のとおりである。
(組合名) (件数) (金額)
健康保険組合全部 四、五七七、三七二 七、七〇四、六二八、〇〇〇円
安田健康保険組合 二一、九三三 二六、九八一、〇〇〇円
保土谷化学健康保険組合 二、九二五 三、七七二、〇〇〇円
全国食糧健康保険組合 二六、六〇九 四〇、二八三、〇〇〇円
三井健康保険組合 四三、四二七 六五、九六六、〇〇〇円
そこで、今保険者が本件告示の効力の故にやむなく保険医療機関等に支払をしたとすれば、申立人らがのちに本案訴訟において勝訴判決を得たとしても既往の超過支払分の返還請求は実際問題として極めて困難となる。けだし、右返還請求に当つては、
保険者は前述のようなぼう大な数の既払案件の各個について、その内容を、例えば初診料、入院料、技巧料、看護その他につき一々再点検して過払分を摘出し、その額を算定、合計し、これを数万の保険医療機関等に対し各別に明細書を
作成し、数万の保険医療機関等に対し各別に一々返還を請求しなければならない。
しかも右返還請求に対し保険医療機関等の全部が直ちにここを認諾して返済するものとは限らない。おそらくはこれを承認せず、またその計算違いを主張し、あるいは返還請求を放置して顧みない多数の者を生ずるであろう。さらには返還請求時にはすでに存在を失つている医療機関もあるであろう。
このような場合保険者はかかる多数の保険医療機関等を相手方として判決を求める手続をとらなければ返還請求の実効をあげ得ないことになる。これは実際上容易な事ではないのみならず、そのためには保険者は何人からも回復し得ない多額の費用、訴訟実費の支出を要することになる。それ故に、申立人らは本件申立てにより緊急に本件告示の効力の停止決定を得る必要があり、しからざれば申立人らが後に本案訴訟において本件告示取消しのの判決を得ても申立人らが本件告示により生ずる巨額の損害を回復することは実際上極めて困難もしくは不能となる。
(三) 被申立人は、過支払分は将来支払基金における過誤調整により容易に回復できるから効力停止の緊急の必要性がないと主張する。
(1) しかし、支払基金における過誤調整は支払基金における保険医療報酬金の請求ならびに支払に関する日常事務において、関係当事者たる支払基金又は保険医療機関又は保険者に原因する計数の過誤を保険者又は医療機関よりの通知に基づき、または基金の発見により、これが確認手続の後、支払基金において当月分の金額を更正し、あるいは翌月分の請求、支払等においてこれを調整するものである。それはあくまで通常の手続において当事者の過誤に基づく支払の誤差を便宜的に調整する内規的取扱であるに過ぎず、本件のような厚生大臣の告示の結果として当然に且つ全般的に生じた過払金の返還請求のために作動する制度ではない。
(2) したがつて保険者が本件告示に従つて医療機関に対する支払を完了した場合には、保険者はその過支払分を支払基金の過誤調整の方法によつて回復することはできない。保険者が支払基金にその回収を依頼しても支払基金はその機能なしとしてこれを拒否するであろう。けだし、本件の場合においては、医療機関は本件告示に従つて報酬請求書を基金に提出したものであり、基金は本件告示に従つて請求書を審査し支払したものであり、保険もまた本件告示に従つて支払をしたものであつて、そこにはなんびとの過誤も存在しないから、この場合過誤調整の余地がなく、しかも支払基金の業務処理要綱第六節一には「保険医療機関に対する支払に当つては、診療報酬から、法令によつて認められているもの以外のものを差引いてはならない」と規定せられているからである。したがつて保険者は本件告示による過支払金を支払基金における過誤調整措置によつて回復することはできない。
(3) かりに本件告示に基づく保険者の過支払金が支払基金における過誤調整の対象となり得るものと仮定しても、その実際の回復は保険者が直接医療機関に回復を請求する場合(その場合のはなはだしい困難性または不可能性についてはさきに述べたとおりである。)に比し一層実現の困難性を増すことになろう。けだし過払金の確定手続、請求手続については、支払基金も保険者が自らこれを行う場合と同様、既往の無数の書類を全部いちいち精密確実に点検し、過払分を検出し、その金額を算出し、これを各医療機関毎に、また各保険者ごとに分類し、しかも各医療機関と各保険者との間の個々の請求関係を誤らないようにしなければならない、各単位保険者が自己関係の分のみについて行う返還請求についてさえ既述の通り、実険上不可能的であるのに、各都道府県に人手不足のただ一事務所しかもたない支払基金が、多数の保険者(健康保険組合だけでも全国においてその数一、三〇〇をこえ、他にも多数の保険者がある。)の分について、しかも既往数カ月ないし数カ年の数について、手続煩雑な過誤調整の方法を用いて、本件告示に基づく過払金の返還処置をなし得るというのは全く現実を離れた論というのほかはない。
(4) 本件告示により生ずる過払金の回収が被申立人の言うように支払基金の過誤調整業務に入るものと仮定し、かつ、全国における支払基金の職員総数四、〇〇〇名がすべて過誤調整作業について能力を有する者であると仮定しても、一カ月二、〇〇〇万件に及ぶ診療報酬請求につき、今後数カ月或は数年の後に保険者が医療機関に過支払金の返還を要求し得るに至つた場合は、支払基金の職員一人当り数万件或は数十万件以上の過誤調整業務を担当しなければならないことになる。そして既往の診療報酬請求書ならびに明細書の全部について、そこに記載されている個々多数の医療行為について、一つ一つ過支払点数を検出し、その金額を正確に確定し、当事者間に争いの余地のないように債権債務の関係を調整しなければならないことになる。
(5) そしてこの場合忘れてはならないことは本件九、五%医療費の引上げというのは各医療事項の報酬が一率に九・五%引上げられたわけではないということである。引上率は別添官報掲示の通り、約一、〇〇〇事項に及ぶ各医療ごとにそれぞれ異なる。したがつて本件告示の違法を理由として、将来過払金の返還が行なわれなければならない事態を生じたとすれば、その返還請求額確定のためには、診療報酬請求書ならびに明細書記載の各医療事項につき、これをいちいち約一、〇〇〇事項に及ぶ改定点数表に照合しながら過払分を摘出しなければならない。そしてそれを数千万、数億万の既往の診療請求の一件一件について厳密に行わなければならない。そしてそのいちいちを明細にした書面を作り、金額を計算記入し、各保険者と各医療機関との返還関連を明確にし、これを各医療機関別に分類し、又各保険者別としなければならない。その間において計算その他の一切の事項につき不正確性は一切許されない。他にも繁忙な業務を有する者が自己の本業務を放置しこれを犠牲にして、多大の時間と労力を費しても果していつ片付くか判らない返還調整業務に専従することができるかどうか。それを不可能とすることが今日の実務社会の健全な常識であろう。
(四) また、本件告示が後日判決で昭和四〇年一月一日からその月の途中の日(例えば一月一三日)までの間の分についてのみ取り消されるようなことがあつた場合には、保険者は医療機関が提出した報酬請求書並びに明細書によつては右取消期間内における既払分医療報酬が果していくばくであつたかを判別することは不可能である。その理由は、これらの書類には各診療行為、入院料等につきその各項目毎に一カ月の合計分が取りまとめて記載されるだけで、当該診療行為等が行なわれた具体的日付は記載されないからである。したがつて、保険者の側からする過払額の検出は返還請求の相手方たる医療機関等の望みがたい全面的協力がないかぎり不可能であり、かかる場合には本件申立てにかかる本件告示の効力の停止決定がないかぎり保険者額過払金の返還請求は不可能となる。
(五) さらに、前述したように、被扶養者が保険医療機関等の療養を受けたときは、保険者は家族療養費として実費の半額を限度として療養に要する費用の半額を被保険者に支給するか、または、これを保険医療機関等に支払うことになつている。そして、現に保険医療機関等は、昭和四〇年一月分診療分について、家族療養分についてもすべて一月一日に遡り本件告示による改定報酬を保険者に請求するため支払基金に請求書を提出しているから、本件告示の効力が停止されないかぎり、保険者は昭和四〇年一月一日から一三日までの家族療養費についても本件告示による改定報酬を支払わなければならなくなる。そして、もし右報酬を支払つてしまえば、医療機関等の提出した報酬請求書には被扶養者が一月何日に診療を受けたのか、すなわち右診療を受けた日が一月一三日以前であつたか、あるいは一月一四日以後であつたかはまつたく明らかにされないのであるから、後日本件告示が判決によつて取り消されても、保険者は右過払分を検出しその金額を確定しその返還を請求することは、報酬請求書を提出した医療機関すなわち返還請求の相手方の全面的協力がないかぎり絶対不可能である。これは本件告示による保険者の損害回復を不可能ならしめるものであることは明らかである。それ故に、申立人らは、本件告示の効力の停止を求める緊急の必要がある。
六、被申立人は、本件告示の効力停止は公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると主張する。
(一) しかしながら、既述のとおり、申立人ら各健康保険組合は、本件告示の効力停止決定を得ないかぎり本件告示による過払金を将来において回復することは絶望的であるから、医療機関の経営の早期安定化の名において、右のような巨額の損害の負担を一方的に保険者等診療報酬支払者に強制することは許さるべきではない。医療機関の経営の早期安定化は、もし公益上緊急にその必要があるとすれば、国の財政措置によつてその対策を講ずべきであり、被申立人が主張する公的病院の赤字については特にしかりである。
被申立人は効力停止処分は医療機関の経営の早期安定化のためこれを行なうべきではないという。しかし、被申立人は昭和三九年四月の中医協の答申を八カ月も放置して同年末に至つたものである。この政府の態度よりみれば、医療機関は本件執行停止処分を許さないような経営状態にあるものでないことは明らかである。公知の事実として、一般医療機関は現在本件告示の効力停止を不可能とする程度に経営困難の経済的状態にあるものとは認められない。
(二) 被申立人は、保険医療機関等はすでに昭和四〇年一月診療分報酬請求書を支払基金に提出ずみであるから、今効力停止がなされると、改めて報酬請求書を支払基金に提出し直さなければならず、膨大な事務的負担となるのに対し、これによつて保険者らが避けうる財産的損害は僅少であるから、効力停止は公共の福祉の見地から許されないと主張する。しかし、本件告示の効力停止の場合、医療機関は現に支払基金に提出中の昭和四〇年一月診療分報酬請求書を訂正すれば足りる。保険医療機関は全国においてその数九万に達するけれど、右訂正は各医療機関がそれぞれ自己提出分について行なうのであり、しかも昭和四〇年一月分について行なえばよいわけであるから、さして時間と労力を要するほどのものではない。これに反し、もし効力停止が行なわれないとすると、将来における保険者の過払分の回収は数カ月ないし数十カ月について行わなければならなくなり、既述のとおりその回収は実際において不可能、絶望的となり、また少なくとも昭和四〇年一月診療分については理論的にも回復不可能となる。
(三) 被申立人は、さらに、支払者代表委員の反対で社会保険審議会、社会保障制度審議会も開けず、保険医療行政は行きずまりの状態にあり、政府与党は支払者側を説得して医療問題の解決に努力中であるから、今効力停止が行なわれると政府与党の事態収拾に影響を与え、医療者側の強い反発を呼び、事態はますます困難になつて医療保険全般の機能をまひさせることになると主張する。しかし、被申立人のいう政府与党の事態収拾の努力とは、本件告示の違法を改めるためのものではない。それは自己並びに国民一般の正当な権利と利益の維持防衛のために立つ支払者側団体幹部を説得し、これを軟化せしめることを目的とするものである。本件告示の効力停止によつて保険医療機能がまひすることは考えられない。そして、もし、本件のような重大な違法が抑制され得ないものとすれば、正義は破滅してその影を潜め、わが国は違法と権勢のみの横行するちまたと化し終るであろう。
七、被申立人は本件告示は立法作用に属するから抗告訴訟の対象になり得ないと主張する。
(一) 行政事件訴訟法第三条によれば抗告訴訟は行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟であつて、それによつて直ちに個人の権利の侵害の結果を生ずる本件告示のような場合には、その公権力の行使が内容において立法作用であるか、行政作用であるか、あるいは司法作用であるかは抗告訴訟の能否に差異を生ぜしめるものではない。一般に立法作用が行政訴訟の対象とならないものとせられるゆえんは、抽象的な法の立法それ自体によつては原告たる当事者が損害を受けるかどうかはまだ不明であるからである。しかし違法な立法それ自体によつて原告たる当事者が現実に損害を受けた場合または現実に損害を受けることが確定している場合には、かかる立法は個々の具体的な行政処分とその実質ならびに効果を同じくするものであつて、行政庁のかかる行為は行政処分または少なくとも行政処分に準ずるものであり、抗告訴訟の対象たり得る。
(二) 本件において保険者は医療機関の医療行為とその報酬の請求を受けて初めて具体的損害を受けることにはなるが、しかし本件告示とともに申立人ら保険者が今後引き続き医療機関から本件告示に基づく増額支払の請求を受けることは疑いのない確定的事実である。それ故に被申立人の本件告示行為はその効果において申立人らに対する直接の個々具体的な処分と同断である。したがつて申立人らは医療機関よりの支払請求を待たないで、被申立人の本件行政処分に対し抗告訴訟をなしうる。
八、被申立人は、申立人健康保険組合連合会は保険者になり得ないから当事者適格を有しないとも主張するが、右主張も次に述べるとおり失当である。
抗告訴訟の原告たりうる者は行政行為によつて直接権利を侵害せられた者のみに限定せられていない。行政事件訴訟法第九条、第三六条は裁判を求めるにつき法律上の利益を有する者は抗告訴訟を提起することができる旨規定する。
さて法第四二条の三によれば健康保険組合連合会は健康保険組合が共同してその目的を達するために設立せられ、また被保険者の共同の福祉を増進するため必要の場合には健康保険組合が加入を強制せられる法人であつて、健康保険組合ならびに被保険者の一般共通の利益の維持増進を唯一の目的として存立するものであり、この目的達成のために行動する権利を有し義務を負う。すなわち健康保険組合連合会は健康保険組合(現在における連合会加入組合数は、一、三二〇である。)一般共通の利益の増進、少くともかかる権利の保持について法律上の利益を有する。それ故に健康保険組合連合会は被申立人の本件違法行政行為によりかかる法律上の利益を侵害せられた者であり、この違法侵害を防止するため本件抗告訴訟により裁判を求める法律上の利益を有する。
なお、実際においても健康保険組合連合会は健康保険の問題に関して全健康保険組合の利益を代表して政府と各種の折衝をする慣行(法たる慣行)を有する。
第二、被申立人指定代理人は、「本件申立てはこれを却下すべきものと思料する。」との意見を述べ、その理由を次のとおり陳述した。
一、本件告示は取消訴訟の対象たる行政処分ではない。
申立人らは、被申立人のなした本件告示を行政処分と解し、その取消訴訟を提起するとともにあわせて本件申立てをなしたのであるが、本件告示は、法第四三条の九に基づく告示「健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」を改正するものであり、右告示による療養費の算定方法の決定は、それが告示の形式をもつてなされているものの、同条第二項の委任によつて一般的抽象的に適用される療養に要する費用の額の算定の基準方法を定め、もつて同条第一項の規定を補充するものであるから、それは法規定立行為であるというべきである。かように右告示の制定を立法作用に属するものと解すべきである以上、抗告訴訟の対象となり得ないものであることは当然であるといわねばならない。
二、申立人健康保険組合連合会は当事者適格を有しない。
申立人健康保険組合連合会は法第四二条の三の規定に基き健康保険組合が共同してその目的を達するために設立された法人であるが、同法にいう保険者にはなり得ない。したがつて、本件告示によつてその権利義務に何らの影響を受けないのであるから、当事者適格を有しない。
三、本件告示には手続上のかしは存しない。
(一) 本件告示をなすまでの経緯(省略)
(二) 本件告示をなけまでの経緯は以上のとおりであつて、被申立人が適法な諮問をしたにかかわらず、中医協において長時間審議を重ねても委員の意見が対立してまとまらず、答申することが困難となり、一方緊急是正の実施は遷延を許さない事情にあつたのであるから、被申立人が中医協の答申を待たずしてその審議の経過において明らかにされた各側委員の意見を参酌して本件告示をしたことは何ら違法のかしはないといわなければならない。
(三) 申立人らは、被申立人が中医協に対してなした諮問は審議の期間を旬日内に限定し、審議の実行不可能な期間を定めて答申を要求したものであるから、かかる諮問は無効であると主張する。なるほど、被申立人は昭和三九年一二月二二日本件諮問をしたが、その諮問案は同年四月一八日の中医協の答申に基づく具体案として同年四月以降の事情の変更をも考慮に入れて結局九・五%引き上げるというものであつた。しこうして、前記四月の答申が緊急に診療報酬を是正する要があるというものであつたにもかかわらず、前記のような事由からそれに基づく具体案についての諮問が遅れたため、これの実施を急ぐ必要があり、かつ諮問案の内容よりみても、その大半は、今回の緊急是正とは関係のない機械的修正に関するものであつて、ほとんど審議を要しないものであり、緊急是正に関する九・五%の引き上げについても答申の際示唆された八%の引上についてはすでに支払者代表委員も認めるという主張をしていたのであるから(この点において申立人らのいわれる年額一、〇〇〇億円の増額支払をなすかなさぬかを定めるとするのは余りにも誇張に過ぎるというべきであろう。)、実質的には点数配分の適否と四月以降の事情変更による残り一・五%の引上げの要否に限られるというべきであつて、これらの点よりして諮問に対する審議期間は必ずしも短きに失したといいえないのであり、本件諮問自体が無効であるとの申立人らの主張は、全く理由のないものと考える。
(四) (中略)要するに法第四三条の九第二項の趣旨は、申立人らの主張されるように、その実質において医療担当者と支払者の各代表者間の協定を厚生大臣が認可宣言するに過ぎないといつたようなものではなく、法的にも実質的にも文字どおり厚生大臣が診療報酬を決定することを定めたものであつて、ただ、法は行政の運営の妥当をはかるため中医協に諮問するものとしているのである。したがつて、適法に諮問したにもかかわらず、すでに述べたとおり中医協において早急に答申することが困難となつた場合において、厚正大臣は、答申をまたず診療報酬を決定しうるのであつて、そこには何ら手続上の瑕疵はないから、答申をまたずしてなした決定は違法であるとの申立人らの主張は、理由のないものといわなければならない。
申立人らは、支払者代表委員のわずか三日の猶予要求も無視して本件告示を行なつたのは違法であると主張するが、右に述べたとおり昭和四〇年一月九日に至つても両側委員はそれぞれの意見を固執して譲らず、若干審理期間を延長してみたからといつて、到底中医協のまとまつた答申が出るということは至難の状況であつたから、本件告示には何ら違法のかしはない。
四、本件告示が保険者の支払うべき費用につき遡及適用するものとしたことには何ら違憲違法の瑕疵はない。
(一) 健康保険組合は、その組合員である被保険者の保険を管掌することを目的として設立せられた公法人であつて(法第二五条、第二六条)講学上の公共組合に属し、国家的公権が認められ、国家の特別の監督のもとに保険事業の運営という国家的任務を担当しているのである。このことは、健康保険法が、設立強制(第三一条)、加入強制(第三五条)、運営及び財務に対する特別の監督(第三七条ないし第三九条、施行令第四四条ないし第五五条)のほか、事務の執行に要する費用の一部国庫負担(第七〇条)に関して規定し、さらに解散に因り消滅した健康保険組合の権利義務は政府が承継すること(第四〇条)を規定して、最終的には国の責任のもとに運営されていることを明らかにしている点よりしても明らかである(なお、保険財政の基盤がぜい弱なため、健康保険事業の運営に支障をきたすおそれのある健康保険組合に対しては、保険給付に要する費用についても国が補助金を交付している。)。
したがつて健康保険組合保管に係る資産は、国の方針の枠内において健康保険事業の運営のためにのみ支出することが許され、それ以外の目的のために自由に使用することが許されないという意味において多分に公的財産の性格を有するものである。
被申立人は、今回の告示の改正にあたつて、保険者の支払うべき費用については、昭和四〇年一月一日から適用することとしたのであるが、これは、後記のごとく、国民の医療を確保するという医療保険制度本来の目的達成のために重要な要件である医療機関の経済的安定のためには緊急に実施する必要があつたことに加え、医療費用の各月分一括翌月請求という請求手続上の要請および支払基金における審査、支払の事務上の要請から月初めの実施を必要としたこと等を考慮した結果によるものである。
他方、申立人ら各健康保険組合は、このため本件告示のなされるまでに行なわれた医療行為についてのすでに確定した医療費用額に変更が加えられ、改正告示に基づいて増額された医療費用額を支払わねばならない結果が生ずることとなるとしても、前記のごとき健康保険組合およびその保管に係る資産の法的性格よりすれば、その資産の支出について課せられたかかる負担の増加は、一般私人の有する権利義務を変更する場合と同一に論ずることは許されないといわなければならない。そして本件告示の遡及適用は前記のごとき公共の福祉の見地からの諸要請に基づいて行なわれたものであり、しかも、本件告示の日は月の上旬であつて月初めまで遡るものに過ぎないから、かかる程度の負担の増加は申立人らのごとき公共組合においては公共の福祉からの要請に対し当然忍受してしかるべきものというべきである。すなわち、申立人ら各健康保険組合に対する本件告示の遡及適用は、その法律関係の性格と公共の福祉からの要請に照らして合理的な制約にほかならないのであるから、何ら違法といわれるべき筋合のものではなく、この点についての申立人らの主張は、全く理由のないものというべきである。
なお、改正告示の遡及適用については、昭和三六年七月の改正の際にもなされているのであるが今回も一月以降の中医協における話し合いの過程において支払者代表委員から八%引上げて一月一日に遡ることは認める旨の発言があり、この程度遡ることは支払者代表委員も反対していなかつたことをも考慮したのである。
保険者以外の者の支払うべき費用については、自己負担額等を支払つた都度患者と医療機関との関係はすでに決済されていることでもあり、これを遡つて改めることは適当でないと考えられたから、一月一四日から適用することとしたのである。
(二) さらに申立人らは遡及適用の違法の故に、本件告示を実施適用する時期について適法な定めを欠くこととなると主張するが、かりに遡及適用が違法だとしても、直ちに施行される趣旨のもとに公示されている以上、その公示以降において適法にその適用を見ることは多く言うをまたないところであるから、申立人らの右主張も失当であることは明らかである。
五、本件告示は法第五九条の二第二項但書に違反するものではない。
申立人らは、本件告示において保険者の支払うべき費用については一月一日から適用するものとし、保険者以外の者の支払うべき費用については一月一四日から適用するものとしたので、保険者は一月一三日以前に療養を受けた被扶養者についての家族療養費につき現に支払うべき療養に要した費用の半額をこえた額を支払わねばならないことになり、この点において本件告示は法第五九条の二第二項但書に違反する違法のものであると主張する。しかしながら、申立人らの主張するところは法第五九条の二第二項の解釈、適用の問題であつて、本件告示自体には何らそれに関する規定は存しないのである。換言すれば、本件告示は、医療費用の算定方法およびその適用期日を定めているにとどまるのであつて、右告示に基づいて算定される家族療養費の額が、本件告示に基づき算定された額の半額か、あるいは旧告示に基づいて算定された額の半額をこえることができないかは、あくまで前記法案の解釈、適用の問題に過ぎないのであつて、本件告示自体が違法となる余地は存しないのである。
のみならず、前記法条の解釈、適用についても以下に述べるごとく、申立人らの主張するような不合理は生じないのである。すなわち、家族療養費は、被扶養者が同法第四三条第三項第一号ないし第三号の病院等で療養を受けたときに被保険者に支給されるのであるが、その支給の方法は、保険医療機関(第一号)または保険者指定の医療機関(第二号)で療養を受けた場合には、保険医療機関が、保険医療機関及び保険医療養担当規則第五条により、被扶養者より療養費用の半額に相当する金額の支払を受け、保険者より家族療養費の限度において療養に要した費用の支払を受けることにより(同法第五九条の二第四項)、また、健康保険組合の開設する医療機関で療養を受けた場合には、保険者が療養に要した費用のうち家族療養費に相当する金額の支払を免除することによつてこれをなすことになつている(同条第六項)。したがつて、被扶養者が一応医療機関に療養費用を支払つて被保険者が保険者から家族療養費の支払を受けるという方法をとることはないわけである。しこうして家族療養費の額は、厚生大臣の定めた療養に要する費用の一〇〇分の五〇に相当する額であるが、現に支払うべき療養に要した費用の一〇〇分の五〇をこえることはできないとされている。しかるに家族療養費が支給されるのは、前記三種の医療機関で療養を受けた場合に限られ、これらの医療機関で療養を受ける場合には、これら以外の医療機関で療養を受けた場合のように診療報酬について特別の診療契約が締結されることはありえず、厚生大臣の定める療養に要する費用に基づいて算定されるのであるから、通常の場合には、「現ニ支払フバキ療養ニ要シタル費用」は、「療養ニ要スル費用」に一致し、同条第二項但書の適用される余地はないのであつて、ただ、保険者の指定する医療機関または健康保険組合の開設する医療機関の療養費用について厚生大臣の定める療養に要する費用と異なる定めをしている場合のほか、公貴負担による医療が行なわれた場合(伝染病予防法七条、精神衛生法二九条、結核予防法三五条等)に、同項但書により家族療養費の額が減額される場合が生ずることがあるわけである。
本件告示によれば昭和四〇年一月一三日以前の療養については保険者とそれ以外の者の支払うべき費用について適用する告示を異にするわけであるが、この場合においても前記の結論は異ならない。すなわち、保険医療機関又は保険者指定の医療機関において療養を受けた被扶養者は前記療養担当規則に基づき旧告示により算定した療養費用の半額を支払つているのであるが、これはあくまでも被扶養者の支払費用算定の方法にすぎず、このために旧告示により算定した療養に要する費用がその被扶養者の前記法条第二項但書にいう「現ニ支払フベキ療養ニ要シタル費用」となるわけのものではない。保険者が医療機関の請求に基づき家族療養費を算定するに当つては、「現ニ支払フベキ療養ニ要シタル費用」も本件告示により算定した額であるというべきであるから前記但書適用の余地はないわけである。
六、申立人らには回復の困難な損害を避けるための緊急の必要性はない。
(一) 申立人らは、本件告示の効力を停止しなければ、将来新旧告示による医療費の差額を医療機関から返還を受けることが不可能もしくは著るしく困難であるから、回復の困難な損害を受けると主張される。しかしながら、支払基金では、診療報酬の過誤払いについては翌月分以降の支払いで過誤調整を行なうこととしており、現在までのところほとんどすべての過誤払分は比較的容易に調整を終えている。したがつて、申立人らの過払額の確定は事務的に多少困難はあるにしても、この方法によれば医療機関から返還を受けること自体は比較的容易になされうるのである。もちろんその際保険医療機関でなくなつているものに対してはかかる方法により得ないであろうが、かかる場合はむしろ稀有なことであつて、したがつて、申立人らの主張されるごとく医療費の差額の返還を受け得ないようなおそれはまず考えられないのである。これを要するに、本件告示の執行により将来申立人らが差額を請求することとなる場合、その差額の額の確定に多少の事務的繁雑を伴うことは否定し得ないとしても、その額の確定が不可能となるわけのものではなく、また、その差額の徴収にはさほど大きな困難を伴うものではないのである。
このことは、本件告示の遡及適用される分を一月分より分離してその部分のみの差額の返還を求めることとなる場合においも何ら変りはないわけである。したがつて、申立人らには本件告示の執行により回復の困難な損害を生ずるものではないというべきであるから、この点からも本件申立ては失当であるといわなければならない。申立人は全保険者の立場から数字をあげて損害を主張されるが、申立人らの蒙る損害以外を主張することが許されないことについてはいうをまたないであろう。
(二) 申立人らは、診療報酬の過払分は支払基金における過誤調整の手続では処理できないと主張され、その理由として右過誤調整は、通常の手続における支払の誤差を便宜的に調整する制度であつて、告示に基づいて当然に且つ全般的に生じた支払金の返還請求のために作動する制度ではなく、告示に基づく支払金は過誤払金ではないということをあげられる。もちろん本件告示に基づく診療報酬の請求及び支払は、その限りにおいては適法であり、何らの過誤も存しないのであるが、将来本訴において本件告示が違法であることを理由に取り消す旨の判決が確定した場合には、本件告示に基づく診療報酬の支払は遡つて違法となり、新旧告示の差額の部分につき過払が生じ、「計数に異動を生じた」ことになり、支払基金において、「過誤として整理する」ことになるわけである(業務規程三九条参照)。支払基金における過誤調整の手続は、通常は申立人らの主張されるとおり、通常の支払手続における誤差を調整するものであつて、告示が遡つて取り消されてその効力を失い、ために過払金を生ずるというが如き稀有の場合のことまで予想した制度ではないかも知れない。しかし稀有の場合とはいえ告示が取り消されたために生じた過払金も、過払金である以上通常の手続において生じた過払金と同じく過誤調整の手続によつて処理しうるものであるし、また処理されねばならないのである。しこうして、過誤調整の手続は、一種の不当利得の返還を簡便に決済するものというべきであるから過誤を生じた原因が関係当事者たる支払基金、保険医療機関等あるいは保険者による場合のみに限る理由は存しないのであつて(通常はこれら関係当事者に原因の存することが多いことは考えうるところであつて、支払基金における帳簿等の様式も当然通常生ずる場合のことを考えて定められているに過ぎない。)、支払基金の支払分について生じた過払である以上、その原因のいかんを問わず過払を調整することは、支払基金の権能であり、職務であるといわねばならない。
申立人らは、支払基金における過誤調整の手続により処理しうるとしても過払額の確定が事務的に非常に繁雑で不可能に近いということを縷々説明される。しかし過払返還の業務がそのように非常に繁雑なものとなるおそれがあるとして、事務的に繁雑になることは、逆に本件手続において仮に告示の効力が停止せられ、後に本案判決において、申立人らの主張が理由なく、告示の適法なことが確定した場合にも同様に生じうることであつて、この場合には告示の効力停止後判決確定までの間過去に遡つて保険医療機関に対しぼう大な数の診療報酬の追加払をしなければならないことになるのである。さらにこの場合には被保険者の一部負担金、被扶養者の療養費用の一〇〇分の五〇についての各追加請求は、事実上不可能ともいいうる事情も生じかねないのである。したがつて、このように事務的繁雑の生じうることは、本件停止申立てが容れられると否とにかかわらず本案の判決いかんによつては、いずれの場合にも避け得ないことであるから、申立人ら主張の一方的事情のみを取り上げてこれを本申立ての理由とすることは許されないものと考える。
七、本件告示の効力を停止することは公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある。
(一) 本件告示は、従来の診療報酬がわが国の高度経済成長下において人件費、物件費の上昇により著しく適正を欠くこととなり、そのため医療機関の経営は著しくその安定を阻害され、相当困窮した状態に立ち至つたので、診療報酬を適正な額に改正して、医療機関の経営を安定させ、もつて国民に対する適正な医療を確保する目的をもつてなされたものである。
ところが、もし万一本件告示の効力が停止されるにおいては、医療機関の経営の早期安定化は不可能となり、ひいては、その経営を困難にするとともに、診療報酬の緊急是正を待ち望んでいた診療担当者として、かかる事態のもとでは医療保険の診療に協力できないという態度に走らせるおそれも極めて大きく、この結果、国民医療上の混乱を招き国民生活に重大な影響を及ぼすおそれのあることは充分予想しうるところである。
ちなみに、医療機関の経営状況については、公的病院のみについても、昭和三八年度においてその三六%が赤字であり、一応黒字として数えられる病院についても極度に経費を削減した結果であり、適正な医療確保の見地からすれば好ましくない状況にあつたと考えられる。また、日赤等の代表的病院の例にみられるごとく、今回の緊急是正が昭和四〇年一月一日から実施されることを予定して給与改訂を予定しているところも多く、それが実施しえないこととなると経営の赤字となることは明らかである。
(二) さらに一月分の診療報酬の請求に関しては、すでに二月一〇日までに支払基金に請求書が提出せられ、現在基金において審査が進められているのであるが、万一本件告示についてその遡及適用の部分に限り効力が停止されることになれば、医療機関は、一月分の診療報酬については、告示の日の前後により適用すべき告示を区別して算出したうえその請求書をあらためて提出することを余儀なくされるわけであつてこれは全医療機関についていえば膨大な事務的負担となるものである。そして、一方これによる医療費の減少額は保険者の支払うべき医療費全額に比すれば極めて僅少額に過ぎない。したがつて、申立人らの公共的性格からしても、医療機関の犠牲において申立人らの僅少な財産的損害を避けるため本件告示の一部の効力を停止することは公共の福祉の見地から許されないものといわなければならない。
(三) 本件告示がなされた後、支払者代表委員は、被申立人のとつた措置に反対の意見を表明して一月一二日中医協の委員辞任を申し出たほか、支払者代表委員は、社会保険審議会(厚生大臣の諮問機関)に参加を拒み、また社会保障制度審議会(総理大臣の諮問機関)の審議も進捗しない等保険医療行政は行きづまりの状態となつているのであるが、かかる事態を解決するため、政府与党の首脳部は積極的に支払者代表委員の協力を要請し、事態の収拾に乗り出しているのである。総理大臣も二月一二日衆議院予算委員会で、場合によつては自ら支払側の説得にあたりたい旨答弁し、問題解決の決意を表明し、自由民主党においても医療問題調査会を早急に発足させ、誠意をもつて支払側の説得にあたり、混乱している医療問題を軌道に乗せようと努力しているのである。
かかる際に本件告示が本訴の判決をまたないままに、全部又は一部その効力を停止されることになれば、それは政府与党の事態収拾への努力に影響を与え、また医療保険の一方における重要な担い手である診療担当者側の強い反発を呼ぶことは必至であり、事態の困難はますますその度を増し、全く収拾すべからざるに至る恐れは十分予想されるのであつて、その結果は、健康保険のみならず、医療保険全般の機能をまひさせ、国民の医療に重大な影響を及ぼすこととなるものといわざるをえないのである。
(証拠関係)――<省略>
(判断)
第一被申立人が昭和四〇年一月九日本件告示をしたこと及び本件告示の内容の詳細が別添官報記載のとおりであることは当事者間に争いがない。
第二 本件告示の行政処分性
一、行政事件訴訟法第三条第一項は、「この法律において『抗告訴訟』とは、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟をいう。」と定義するとともに、同条第二項において「この法律において『処分の取消しの訴え』とは、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為の取消しを求める訴訟をいう。」と規定し、取消訴訟の対象が行政庁の処分、すなわち法律行為的行政行為のみならず広く行政庁が法によつて与えられた優越的地位に基づき公権力の発動としてなす国民の具体的権利義務ないし法律上の利益に直接関係のある行為に及ぶことを認めている。そして、ここにいう「公権力の行使に当たる行為」は、主として、行政庁が一般的抽象的な法に基づき個別的、具体的な事実又は法律関係を規律する行為を指すものと解されるが、これのみに限られるものではなく、行政庁の行為が、一面において一般的、抽象的な定めを内容とし将来の不特定多数の人をも適用対象とするための法規制定行為=立法行為の性質を有するものとみられるものであつても、他面において右行為が、これに基づく行政庁の他の処分を待つことなく、直接に国民の具体的な権利義務ないし法律上の利益に法律的変動をひき起こす場合には、当該行政庁の行為も、その限りにおいては、特定人の具体的権利義務ないし法律上の利益に直接関係するにすぎない行政行為と何ら異なるところはないのであるから、取消訴訟の対象となりうるものと解するのが相当である。しかしながら、立法行為の性質を有する行政庁の行為が取消訴訟の対象となるとはいつても、それは、その行為が個人の具体的な権利義務ないし法律上の利益に直接法律的変動を与える場合に、その限りにおいて取消訴訟の対象となるにすぎないのであるから、取消判決において取り消されるのは、その立法行為たる性質を有する行政庁の行為のうち、当該行為の取消しを求めている原告に対する関係における部分のみであつて、行為一般が取り消されるのではないと解すべきである。けだし、抗告訴訟、特に取消訴訟は行政庁の違法な公権力の行使によつて自己の権利ないし法律上の利益を侵害された者がその権利ないし法律上の利益の救済を求めるために認められた制度であり(行政事件訴訟法第九条、第一〇条第一項参照)自己の権利ないし利益に関係なく違法な行政行為一般の是正を求めることを目的とする民衆訴訟は法律に定める場合において法律に定める者からのみ提起しうるものとされている(同法第五条、第四二条)趣旨から考えると、行政事件訴訟法は、行政庁の一個の行為であつても原告の権利義務ないし法律上の利益と何ら関係のない部分についてはその取消しを求め得ないものとしているものと解するのが相当であるし、また原告をして自己の権利義務ないし法律上の利益に直接関係する部分をこえて立法行為たる性質を有する行政庁の行為全般を取り消させなければならない必要性も認められず、かく解したからといつて何ら当該原告の権利救済の途をとざすことにもならないからである。同法第三二条第一項は、取消判決の効力は第三者に及ぶ旨規定しているが、その趣旨は、原告に対する関係で行政庁の行為が取り消されたという効果を第三者も争い得なくなること、換言すれば、原告は何人に対する関係においても以後当該行政庁の行為の適用ないし拘束を受けないことを意味するにとどまり、(行為の性質上不可分の場合および実際上の効果は別として)、それ以上に取消判決の効果を第三者も享受し、当該行政庁の行為がすべての人に対する関係で取り消されたことになること、すなわち、何人も以後当該行政庁の行為の適用ないし拘束を受けなくなることを意味するものであるというべきであるから、右条項の存在は何ら前記解釈の妨げとなるものではない。
ところで、本件告示の内容は、前記のとおり、別添官報記載のとおりであるから、本件告示は、告示当時保険者、被保険者、被扶養者であるもののみならず、将来保険者、被保険者、被扶養者となるものにも一般的に適用されるべき療養に要する費用の算定方法を定めるものであり(法第四三条の九、第四四条の二、第五九条の二等参照)、したがつて、本件告示は、この点において、被申立人が主張するように、立法行為たる性質を有するものというべきであろう。しかしながら、本件告示が立法行為としての性質を有するものであるとしても、それが同時に特定人の具体的な権利義務ないし法律上の利益に直接法律的変動を与える場合には、その限りにおいて、いわゆる行政行為と実質的に何ら異なるところはなく、取消訴訟の対象となることは、前述したところから明らかである。そこで、次に、本件告示が特定人特に申立人らの具体的な権利義務ないし法律上の利益に直接法律的変動を与えるものであるかどうかについて、検討してみることにする。
二、法第四三条の九第一項によれば、被保険者が保険医療機関等において療養を受けたときは、保険者は保険医療機関等に対し同条第二項により厚生大臣が定めるところにより算定した「療養に要する費用の額」から一部負担金(法第四三条の八参照)に相当する額を控除した額を支払わなければならず、また法第五九条の二によれば、被保険者の被扶養者が保険医療機関等において療養を受けたときは、保険者は現に支払うべき療養に要した費用すなわち実費の半額を限度としながら法第四三条の九第一項の例により算定した「療養に要する費用の額」の半額を家族療養費として被保険者に支給するか又はこれを保険医療機関等に対し支払うものとされている。(もつとも、実際は、被扶養者が法第四三条第三項第一号又は第二号に掲げる保険医療機関等で療養を受けたときは、保険医療機関等に対し被扶養者が療養に要する費用の額の半額に相当する金額の支払をする(保険医療機関及び保険医療養担当規則第五条、保険薬局及び保険薬剤師療養担当規則第四条)とともに保険者から保険医療機関等に対し家族療養費の限度において療養に要した費用を支払うことができ(法第五九条の二第四項)、また、被扶養者が法第四三条第三項第三号に掲げる保険医療機関等において療養を受けたときは、保険者はその被扶養者が支払うべき療養に要した費用のうち家族療養費に相当する金額の支払を免除する(法第五九条の二第六項)ことができることになつており、これらの場合には、保険者は被保険者に家族療養費を支給したものとみなされる(同条第五項、第六項)から、現実に家族療養費が支給されることはない。)したがつて、右「療養に要する費用の額」が増額されると、それだけ保険者が被保険者又は被扶養者の受けた療養につき保険医療機関等に支払うべき費用の額も増大し不利益を受けることになる。もつとも、保険者は、被保険者又は被扶養者が保険医療機関等で療養を受け、そして保険医療機関等がこれに要した費用の支払を保険者に請求してはじめて右費用の支払をすることになるわけであるが、被保険者及び被扶養者が「療養に要する費用の額」の増額後といえども保険医療機関等の療養の給付を受けるであろうことは確実であり、療養の給付があれば、保険者は保険医療機関等に対し増額されたところにしたがつてその費用を支払うべき債務を負担するに至り、また保険医療機関等は増額された費用の支払請求をするであろうことは疑う余地のない事実であるから、「療養に要する費用の額」を増額することは、それ自体保険者が将来支払うべきことの確実な療養の給付に関する費用を増額し、直接保険者に法律上の不利益を与えるものといつて妨げない。のみならず、「療養に要する費用の額」を増額する告示の日から前に遡つて適用すべきものとした場合には、右告示の日より前にすでに生じていたものとみるべき保険者の保険医療機関等に対する療養の給付に関する費用支払の債務は、これにより直接増額されることになり、この点においても保険者に直接法律上の不利益を与えることになる。そうであるとすれば、厚生大臣が法第四三条の九第二項に基づき「療養に要する費用の額」を改定し増額する処分は取消訴訟の対象となりうるものと解すべきである。
そして、本件告示の内容は、前記のように、別添官報記載のとおりであるが、要するに、それは、旧告示において定められた「療養に要する費用の額」を改定して平均九・五%増額し、しかも、保険者の支払うべき費用については本件告示のなされた昭和四〇年一月九日より前に遡つて同月一日から適用することを主たる内容とするものであるから、本件告示当時存立する申立人ら各健康保険組合は、改めて行政庁の何らかの処分を待つことなく、本件告示そのものにより、右申立人らが将来保険医療関機等に対して支払うべきことの確実な療養の給付に関する費用を増額されるとともに、あわせて昭和四〇年一月一日から本件告示のなされた同月九日までの間の、すでに被保険者又は被扶養者が療養の給付を受けることによつて生じていた保険者の保険医療機関等に対する右費用支払の債務も直接増額されたことになる。したがつて、本件告示は、前記のように、一面立法行為たる性質を有するものではあるが、他面、右に述べたとおり、申立人ら各健康保険組合に対し直接法律上の不利益を与えるものであるから、取消訴訟の対象となりうるものというべきである。
第三 申立人健康保険組合連合会の当事者適格
一、行政庁の処分その他公権力の行使に当る行為(以下、本項において単に処分という。)の効力停止は処分の取消しの訴えを提起した者すなわち取消訴訟の原告からの申立てによつてなすが、申立人が取消訴訟につき原告適格を欠くときは処分の効力停止の申立てについても停止を求める法律上の利益を欠くことになるから、申立人は申立適格を欠き右申立ては不適法となる。ところで、行政事件訴訟法第九条は、取消訴訟は当該処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者に限り提起することができると規定するが、ここにいう「処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」とは、当該処分により直接権利ないし法律上の利益を侵害されていて右処分を取り消すことによつてその侵害が除去され権利ないし法律上の利益を回復しうる地位にある者をいうのである。したがつて、当該処分によつて何ら権利ないし法律上の利益を侵害されない者は右処分の取消しの訴えの原告適格を有しない。
二、本件告示は、前記のように旧告示において定められた「療養に要する費用の額」を改定増額し、保険者の支払うべき費用については昭和四〇年一月一日から、保険者以外の者が支払うべき費用については同月一四日から適用しようとするものである。ところが、申立人健康保険組合連合会は法第四二条の三の規定に基づき健康保険組合が共同してその目的を達するために設立された法人ではあるが、保険者ではないから右告示によつて直接その権利義務ないし法律上の利益に影響を受けないことは明らかである。したがつて、申立人健康保険組合連合会は本件告示の取消しを求める法律上の利益を有せず、したがつてまた本件申立てについてもその当事者適格を欠くことになる。
右申立人は、健康保険組合連合会は健康保険組合が共同してその目的を達するため設立された法人で、被保険者の共同の福祉を増進するため必要の場合には健康保険組合が加入を強制されるものであり、保険者及び被保険者の一般共通の利益の維持増進を目的とし、その目的達成のために行動する権利義務を有するのであるから、一般共通の利益の増進、少なくともかかる権利を保持するについて法律上の利益を有し、実際においても従来から健康保険の問題に関して全健康保険組合の利益を代表して政府と各種の折衝をする慣行があると主張するが、右申立人の性格が右のようなものでありかつその主張のような慣行があるからといつて、右申立人が本件告示の効力停止を求める当事者適格を有することを肯認することはできない。
よつて、申立人健康保険組合連合会からの本件申立ては不適法であり、却下を免れない。
第四 回復の困難な損害を避ける緊急の必要性の有無
一、保険医療機関等が被保険者又は被扶養者に療養の給付をしたときは、前述のように保険医療機関等は保険者に対し療養に要した費用を請求することができるのであるが、保険者は右請求を受けたときはその内容を審査しこれを支払わなければならない(法第四三条の九第四項)。しかし、保険者は右の審査及び支払に関する事務を支払基金に委託することができる(法第四三条の九第五項、支払基金法第一三条第三項)。そして、この場合に保険医療機関等が療養に要した費用を請求するには省令所定の報酬請求明細書を添付した報酬請求書を各月分毎に翌月一〇日までに当該医療機関等の所在地の都道府県の支払基金に提出することを要し(省令第一項、第三項)、右報酬請求書の提出があつたときは支払基金は審査委員会においてその月の二〇日までに請求書の内容を審査し、それによつて決定された支払確定額を保険者からの受託金をもつて支払うことになる(支払基金法第一三条第一項、第一四条第一項、社会保険診療報酬請求書審査委員会規程第三条)。本件において、申立人ら各健康保険組合が右報酬請求書の審査及びその支払事務を支払基金に委託していることは当事者双方の主張によつて明らかであるから、申立人ら各健康保険組合は被保険者又は被扶養者が受けた療養に要した費用を各月分毎にその翌月以降支払基金を通じて保険医療機関に支払うことになるわけである。
そして、このように、申立人ら各健康保険組合が支払基金に委託して保険医療機関等に支払う療養に要した費用の額は厚生大臣の定めたところにより算定されるのであるから(法第四三条の九第二項、第五九条の二第三項)、本件告示がその効力を停止されずその効力を有するかぎり、申立人ら各健康保険組合が本件告示の適用される昭和四〇年一月一日以降本件告示の定めるところにより療養に要した費用を支払わなければならないことはいうまでもない。
二、申立人ら各健康保険組合は、本件告示に基づき療養に要した費用が支払われてしまつた場合には、申立人らがのちに本案訴訟において本件告示取消しの判決を得てもすでに支払つた療養に要した費用のうち本件告示と旧告示の差額分(以下、過払分という。)の返還を求めるには各保険医療機関等に対しいちいち返還を請求し、これに応じないときは訴訟を起さなければならず、そのためには回復することのできない損害をこうむると主張し、被申立人は過払分は支払基金における過誤調整により容易に回復できるから申立人ら主張のような損害はないと主張する。そこで、本件告示がのちに違法として取り消された場合に本件告示に基づいて支払われた療養に要した費用の過払分の返還が支払基金における過誤調整の手続により可能であるかどうかについて考えてみることにする。
成立に争いのない疎乙第九号証(支払基金の業務規程並びに業務処理要網)、証人伊集院俊寛の証言によつて真正に成立したと認める疎甲第一六号証及び同証言によれば、支払基金の過誤調整の手続は、通常の支払手続において関係当事者たる支払基金、保険者、保険医療機関等の責に帰すべき原因によつて生じた計数の異動を調整するための手続であり、療養に要する費用の算定基準たる厚生大臣の告示が遡つて取り消されたことによつて生ずる計数の異動の調整ということまで予想した制度ではないことが一応認められる。しかしながら、支払基金は保険医療機関等から提出された報酬請求書を審査し厚生大臣の定めるところにより算定した金額を支払う権限と職責を有するものであり(支払基金法第一条、第一三条)、それ故に右支払確定額が決定したのちに計数に異動が生じた場合にもこれを過誤として整理し翌月分の支払いにおいて調整することも許されるのである、(支払基金業務規程第三九条、第四一条)。そして、支払基金の右のような権限と職責に照らすと、過払分が関係当事者たる支払基金、保険者、保険医療機関等の過誤によつて生じたものであると、あるいは療養に要する費用の算定方法を定める告示が遡つて取り消されたことによつて生じたものであるとによつて、過誤調整の手続の利用に区別を設けるべき合理的な理由はないものというべきである。したがつて、本件告示がのちに遡つて取り消された場合にも、申立人ら各健康保険組合は各保険医療機関等に対し各別に過払分の返還請求をするまでもなく、支払基金における過誤調整の手続により過払分の返還を求めうるものということができる。(また、この手続によることができれば、各保険者が各保険医療機関等に対し各別に過払分の返還を請求する場合よりも、比較的簡便で費用も節減できるものと考えられる。)もつとも、過誤調整の際すでに保険医療機関等でなくなつているものに対しては、過誤調整の手続により過払分の返還を求めることができず、直接返還請求をしなければならないが、かかる場合は極めて稀有のことであろう。
三、かくして、申立人ら各健康保険組合は原則として支払基金の過誤調整手続により過払分の返還を求めうるはずであるが、現実の問題として過誤調整の手続を利用すれば容易に過払分の返還を求めることができるのであろうか。
(一) 成立に争いのない疎甲第五号証の一、二並びに前掲疎甲第一六号証及び証人伊集院俊寛の証言によると、支払基金が全国で一か月当り取り扱う保険医療機関等の数は約九万、取扱件数二、〇〇〇万件余、支払総額金三八〇億円以上に及び、これに対し支払基金の職員総数は約四、〇〇〇人、そのうち報酬請求書の審査事務に従事する者は七割五分ないし八割であること、そして右取扱件数のうち過誤調整を要するものは総数の一、〇〇〇分の一程度(約二万件)であるが、過誤処理には手数を要するので現在東京都における実情としては保険者が過誤調整を請求してからそれが完了するまでに通常五か月を要していることが一応認められ、また証人田中三郎の証言によつて真正に成立したと認める疎甲第六号証によれば、支払基金が昭和三九年五月診療分につき申立人ら各健康保険組合に関し処理した取扱件数及び支払金額は次のとおりであることが一応認められる。
(組合名) (件数) (金額)
安田健康保険組合 二一、九三三 二六、九八一、〇〇〇円
保土谷化学健康保険組合二、九二五 三、七七二、〇〇〇円
全国食糧健康保険組合二六、六〇九 四〇、二八三、〇〇〇円
三井健康保険組合四三、四二七 六五、九六六、〇〇〇円
合計 九四、八九四 一三七、〇〇二、〇〇〇円
(二) 右のような支払基金の実情、特に一か月約二万件程度の過誤調整にすら約五か月を要していること、それに本件告示の改正の内容は診療報酬の緊急是正として平均九・五%(各医療事項につき一率九・五%ではない。)の引き上げを行うとともに、旧告示第一七七号第三項において「療養に要する費用の額」の算定については一点の単価を一〇円としこれに診療報酬点数表(甲)又は歯科診療報酬点数表に定める点数を乗じて得た額にその一〇〇分の五に相当する金額を加算して算定することとしていたいわゆる五%加算制を廃止しこれを固有点数に振り替えようとするものであつて、そのため改正医療事項は別添官報の記載からも明らかなとおり約一、〇〇〇事項に及んでいるから、もし本件告示が本案判決によつて遡つて取り消された場合には、支払基金は各報酬請求書並びにその明細書記載の各医療事項につきこれを一つ一つ約一、〇〇〇事項に及ぶ改定点数表と照合しながら過払分を確定しなければならないこと、しかも本件告示が取り消された場合に過誤調整を要する件数は申立人ら各健康保険組合に限つても一か月九五、〇〇〇件弱もあり、そして右の要過誤調整件数は本件告示の取消判決が確定するに至るまで今後数か月又は数年にわたり各月毎に算術級数的に増加することが確実なことを総合して判断すれば、本件告示が今後数か月又は数年先に取り消されたとしても、申立人ら各健康保険組合が過払分全部について過誤調整を受け終るのは数年、いな数十年先にすらなりかねないであろう。(このような場合何らかの臨時応急の措置をとることも考えられないではないが、そのための人員の確保これに対する報酬等の諸費用のことを考慮すれば、このことも実際上困難であると考えられる。)そして、申立人ら各健康保険組合が本件告示の取消しを理由として過誤調整により返還を受くべき金額は、前記認定のごとく支払基金における支払総額が一か月一三七、〇〇二、〇〇〇円であるから、その九・五%は約一三〇〇万円余であり、これが本件告示の取消判決確定まで数か月ないし数年分蓄積されると、その金額は相当の額となる。このように多額の金銭の返還請求が本件告示の取消判決確定後さらに数年、数十年を要するものとされる場合には結局回復の困難な損害があるものというべく、しかも、本件告示の効力停止が遅くなればなるほど回復の困難な金額は増加し、かつその回復の困難性も増大するから、申立人ら各健康保険組合には本件告示の効力の停止を求めるにつき回復することの困難な損害を避ける緊急の必要性があるものと認めるのを相当とする。
四、被申立人は、過誤調整事務におけると同様の繁雑さは、本件告示の効力が停止され、のちに本件判決において申立人らの主張が理由なく本件告示の適法なことが確定した場合にも生じ、さらにその場合には被保険者の一部負担金、被扶養者の療養に要した費用の半額の各追加請求は事実上不可能となるから、申立人らの一方的事情のみを取り上げることは許されないと主張する。しかし、かりに被申立人主張のような事務的繁難さが生ずるものとしても、本件申立ての本案が理由がないとみえない以上、申立人ら各健康保険組合に前述のような回復の困難な損害を避ける緊急の必要があることを認めるに妨げとなるものでないことは、執行停止制度の趣旨からいつて明らかである。
第五 本件告示の違法性
一、法第四三条の九第二項は療養に要する費用の額の算定方法は厚生大臣が定めるものとし、法第四三条の一四第一項は厚生大臣が右の定めをするについては中医協に諮問すべきものと規定している。そして、協議会法第一五条は中医協は厚生大臣が各関係団体の推せんに基づき任命した支払者代表委員、医療者代表委員各八名及び両議院の同意を得て任命した公益委員四名をもつて組織するものとし、同法第一四条は中医協は厚生大臣の諮問に応じて審議し文書をもつて答申するものと規定している。これによれば、厚生大臣が療養に要する費用の額の算定方法を定めるには中医協に諮問しその文書による答申を得、その答申を尊重して決定をなすべきことが法律上要求されているわけである。そして、法がこのように中医協に諮問することを要求している趣旨は、右のような中医協の構成、各委員の任命方法等から判断して、保険医療行政の円満な運営という見地から、右療養に要する費用の額の算定方法の決定に重大な利害関係を有する保険者、事業主、被保険者等の支払者側と医療機関側の間の対立する利害を調整し、もつて関係当事者の権利、利益を担保しようとするにあるものと解するのが相当であるから、厚生大臣が中医協に諮問することなく、あるいは諮問をしてもその答申を得ないことを正当とするような特段の事情もないのに答申を得ずに右決定をすることは違法といわざるを得ない。
被申立人が本件告示を前提としその内容の可否につき昭和三九年一二月二二日中医協に諮問した(以下、本件諮問という。)こと、しかし被申立人は昭和四〇年一月九日公益委員から公益委員の意見を記した報告書の提出を受けただけで中医協の答申のないまま本件告示をしたことは当事者間に争いがない。してみると、本件告示は中医協の答申を得ないことを正当とするような特段の事情が認められないかぎり違法である。
この点について、被申立人は、中医協は本件諮問につき長時間審議を重ねたが委員の意見が対立してまとまらず早急に答申することが困難であつたこと、一方緊急是正の実施がもはや遷延を許されない事情にあつたことをあげ、中医協の答申なく本件告示をしたことは適法であると主張する。そこで、次にこの点について判断する。(なお、申立人らは、本件諮問は、審議期間を旬日内に限定し審議不可能な期間内に答申することを要求するものであるから、無効であると主張するが、この点についての判断はしばらくおく。)
二、<証拠>を総合すると、被申立人が本件告示をするに至つた経緯として次のような事実を一応認めることができる。
(1) 昭和三八年一二月四日被申立人は中医協に対し「社会保険診療報酬の緊急是正」について諮問した。右諮問につき中医協は審議を重ね、昭和三九年四月一八日被申立人に対し高度経済成長に伴う諸事情が医療経済の安定を阻害している面のあることにかんがみ入院料、初診料等を中心として社会保険診療報酬の緊急是正を行うべきことを答申した(以下、四月答申という。)右答申は全委員一致の賛成によるものではなく、医療者代表委員は再診料一〇点の設定を要求し反対していた。なお、右答申に基づく診療報酬の引上げ率は答申に明示されてはいなかつたが、当時の諸事情のもとにおいておおむね八%になることが中医協各委員、被申立人、厚生省当局等関係者間に了解されていた。
(2) 右答申に基づき被申立人は具体的な実施案の作成にとりかかつたが、基礎資料の調査、収集、検討にかなりの期日を要したこと、また同年六月中医協の委員の半数が任期終了した公益委員が再任を受けず、さらに任期中の公益委員一人が辞意を表明し、そのため後任の公益委員の人選、両議院の同意、任命が遅れ中医協の招集ができなかつたこと、さらにその間同年七月には被申立人厚生大臣の更迭があつたことなどの理由により、四月答申の具体的な実施案の作成、中医協への諮問が遅れていた。
(3) かかる状況のもとにおいて、日本医師会を中心とする医療者側は四月答申に基づく診療報酬緊急是正の即時実施と右答申で見送られた再診料の設定等を要求し、保険医総辞退を示唆するような決議をしたり、いわゆる一日休診を行なつたりして被申立人らに対し自己の要求の実現を期して強力に働きかけていた。しかし、一方支払者側も被申立人に対し四月答申の尊重を要望し被申立人が右答申を無視した診療報酬の引上げを行なうときは保険料不払い、中医協からの支払者代表委員総引揚げを行なう用意のあることを表明していた。
(4) 被申立人は同年一一月二〇日大蔵大臣、自由民主党三役との会談において、四月答申後の経済事情の変化を考慮し右答申の際関係者間に了解されていた引上げ率八%を上回る平均九・五%の診療報酬引上げを昭和四〇年一月一日から実施することを申し合せた。
(5) 被申立人は昭和三九年一二月一五日ようやく公益委員三名の任命を終え、同月二二日中医協に対し、四月答申の具体的実施案として、診療報酬を平均九・五%引き上げ、かつ、いわゆる五%加算制を廃止し固有点数に振り替えた場合の新点数表を昭和四〇年一月一日から実施することについて諮問(本件諮問)をした。
(6) 本件諮問を受けた中医協は即日審議を開始し昭和三九年一二月二九日までの間に四回、正味四七時間にわたつて審議を重ねたが、支払者代表委員は四月答申の際関係者間で了解されていた引上げ率八%を上回る九・五%の引上げを内容とする本件諮問を不満とし、右諮問案を八%引上げ案と一、五%引上げ案とに分離し八%引上げ案の実施を先議し爾余は継続して審議すべきことを要求し、諮問案どおり九・五%引上げ案実施を主張する被申立人、医療者代表委員と対立し、さらに被申立人が同月二七日大蔵大臣との予算折衝で医療保険財政対策として薬剤費の半額患者負担制及び総報酬制の採用を決定したことに刺激されて、公益委員の調整にもかかわらず、遂に審議方法で対立したまま実質的審議に入ることができなかつた。そこで、公益委員はこれ以上審議を継続することはできないものとして同月二九日被申立人に対し辞意を表明した。
(7) 被申立人は、公益委員の辞表提出により中医協の活動が事実上停止することを避けるため、事態の収拾に乗り出し、まず同月三〇日支払者代表委員に中医協の審議継続に協力を求め、翌年早々中医協の審議を再開すること、中医協の審議には双方弾力的態度で臨み、最終的な裁定を公益委員に委ねることについてほぼ合意に達した。そして、被申立人はさらに昭和四〇年一月五日公益委員、医療者代表委員とそれぞれ会談し、中医協の審議再開に協力を要請した。公益委員としては、被申立人及び支払者側、医療者側両委員が弾力的態度で審議に臨みかつ関係者が中医協を尊重するならば辞表を撤回してもよいとの意向であつたところ、被申立人が右会談で、診療報酬の引上げ率、引上げ実施時期については中医協の意思を尊重し本件諮問案には必ずしも固執しないとの弾力的態度を示したので、支払者代表委員、医療者代表委員の意向を確認したうえで態度を決定することにした。
(8) そこで、公益委員は、同月六日支払者代表委員、医療者代表委員と個別に会談し中医協再開について両者の意向を打診したところ、支払者代表委員は被申立人が本件諮問案に必ずしも固執しないのであるならば中医協の再開に全面的に賛成であるとの意向を示したが、医療者代表委員は中医協の審議再開には原則的に同意するが、診療報酬の引上げは諮問案どおり同月一日から実施すべきであるとの従来の主張を変えなかつた。公益委員はさらに同月七日支払者代表委員、被申立人と会談し、特に被申立人が「公益委員が調整に努力している間は職権告示は考えない。中医協の答申は必ず尊重する。」旨の事実上諮問案に固執しない弾力的態度を示したことにより、両者の中医協運営に対する十分な協力が得られると判断し、先に提出した辞表を撤回した。
(9) 一月八日再開された中医協には、緊急是正の一月一日実施を強く主張する医療者代表委員の出席があやぶまれたが結局は出席したので、公益委員は支払者代表、医療者代表各委員に弾力的態度をとることを要望し、八日、九日の両日主として非公開の懇談会の場において両者の意見の調整に努力したが、支払者代表委員は四月答申どおりの八%引上げをまず決め、残り一・五%についてはその後審議すべきであるとし、医療者代表委員は本件諮問案どおり九・五%を一月一日から実施することを主張し、両者とも従来からの主張を変えなかつた。そこで、公益委員は一月九日夜に至つて両者に対し公益委員の意見として「九・五%の引上げを内容とする点数表の改正を一月一日に遡つて適用することを認める。ただし、諮問案における初診時基本診療料及び初診料をそれぞれ一点ずつ減じ、入院時基本診療料及び入院料をそれぞれ一点ずつ増点する。」という内容の提案をし同日中に結論を出すことを求めたが、支払者代表委員は右提案が実質的には全く医療者代表委員の主張と同じであることから態度を硬化し、それぞれの代表する各団体の意向を聴取する必要があるとし、同月一二日午後まで中医協の審議を延期することを主張した。しかし、当時、関係者の間では、診療報酬の引上げを一月一日に遡つて実施するためには、九日中に中医協の結論を出すことが必要であると考えられていたので、医療者代表委員は同日中に決着をつけることを主張し、また公益委員も支払者代表委員の主張を容れ審議を一両日延してみても短期日のうちに結論を出せる可能性は少なく、他方医療機関の財政状況はおしなべてひつ迫した状態にあるうえ緊急是正の一月一日実施を予定して給与上の措置をとつているところが多いから緊急是正の実施が遅れると医療機関の運営上大きな支障をきたすおそれがある等の判断から、九日中に中医協総会を開き各側委員の意見を明らかにして答申することとし、同日午後一一時一五分磯部中医協会長は総会を招集したが、支払者代表委員(政府管掌保険委員を除く。)が欠席したため総会は流会となつた。そこで、公益委員は同日被申立人に対し本件諮問案は現状としてはその緊急性もあり原則としてやむを得ないものと認める旨の報告書を提出した。
(10) 右報告書の提出を受けた被申立人は、緊急是正の実施がもはや遷延を許されないものと考え、報告書に基づき即日本件告示をした。
三、右議事実のうち、本件諮問後本件告示に至るまでの中医協の審議経過のみから判断すると、審議方法につき九・五%の引上げを内容とする諮問案の審議を主張する医療者代表委員とこれを八%引上げ案と一・五%引上げ案に分離し前者を先議し後者は継続審議すべしとする支払者代表委員とが対立し、実質的審議に入ることができなかつたというのであるから、中医協が本件諮問に対し答申をすることは困難であつたと一応考えられないでもない。
しかしながら、四月答申は、診療報酬の緊急是正の必要につき答申したのみでその際関係者間に八%引上げが一応了解されていたとしても、その具体的な引上げ実施について答申したものではないこと、本件諮問は四月答申の単なる具体的実施案にとどまるものではなく、さらに四月答申以降の経済情勢の変化を考慮し診療報酬の平均九・五%引上げ、五%加算制の廃止等を内容とする、具体的には医療事項約一、〇〇〇項目にわたる改正を実施するものであること、本件諮問は四月答申と比較して引上げ率は実質上わずか一・五%増加したにすぎないけれども、これを具体的な金額にするならば、前記認定のごとく、保険者が支払基金を通して支払う金額だけでも一か月約三八〇億円となるのであるから、その一・五%は一か月約五億七、〇〇〇万円、一か年約六八億四、〇〇〇万円、九・五%では、一か月約三六億一、〇〇〇万円、一か年約四三三億二、〇〇〇万円となり、このほか被保険者の支払う一時負担金、被扶養者が支払う療養に要した費用の半額について影響するところをも考えるならば、その金額は莫大な額にのぼるものであり当然慎重な審議がなされてしかるべきものであること、支払者側は被申立人が本件諮問をする以前から四月答申の尊重を要求しそれを上回る診療報酬の引上げに強く反対する態度を示していたこと、さらに本件諮問とは内容を異にしていたとはいえ四月答申が出るまでには四か月以上の日数をかけて審議がなされていることを考えるならば、本件諮問についても十分な審議期間が与えられなければならないはずである。しかるに、本件諮問は緊急是正として診療報酬の平均九・五%引上げ等を昭和四〇年一月一日から実施することについてその可否を問うて昭和三九年一二月二二日になされたものであるから、審議期間を実質的には旬日に限定するものであり、その後前認定のような事情で審議は昭和四〇年一月九日まで行なわれたとはいえ、その間公益委員が辞表を提出したこともあつて、正味審議可能日数はわずか一〇日しかなかつたのであるから、これでは到底本件諮問につき十分な審議期間が与えられたものとは認めがたい。そして、このように中医協が諮問案を審議するにつき十分な期間をいまだ経過していない場合には、委員間に意見の対立があり実質的審議はもちろん審議方法すらまとまらないからといつて、もはや本件諮問について答申を得ることは困難であると即断することはできず、まして答申を待たずに本件告示をすることが正当化されるべきいわれもない。特に、本件において、被申立人は、公益委員に対し辞表の撤回を求めるに当つて、診療報酬の九・五%引上げ等を昭和四〇年一月一日から実施するという諮問案に必ずしも固執しないとの弾力的態度を示していたのであるから、何ゆえに同月九日わずかに公益委員の報告書の提出を受けたのみで、本件告示に踏み切らざるを得なかつたのであるか了解しがたいところである。しかも、同日支払者代表委員は、公益委員の提案した九・五%を一月一日に遡つて引上げ、ただその配分を病院に有利なようにするという案についてとにかく検討してみようとの態度を示していたのであるから、その要求どおり同月一二日午後まで待つたならば何らかの進展がなかつたとも言い切れないのである。
以上の次第であるから、本件は中医協が本件諮問につき審議を尽すに十分な期間を経過したにもかかわらずなお答申をする見込みがなかつた場合であるとはいえず、中医協が一月九日までに答申することができなかつたことはその答申を欠いたまま本件告示をしたことを正当化する理由とはなり得ない。被申立人は、中医協の審議の状況を逐一把握するとともに、最終的には会長の説明を聴取し、公益委員の報告書を確認したうえ本件告示をしたものであると主張するが、かりに右のような事実があつたとしてもそれは中医協の答申に代りうるものではないから、右主張は失当である。
四、次に、中医協の答申を待つことができないほど診療報酬の緊急是正の実施が遷延を許さない事情にあつたかどうか考えてみよう。
証人月橋得郎の証言によつて真正に成立したと認める疎乙第一〇号証の一、二、第一一号証及び同証言を総合すると、公的医療機関は昭和三八年度において約三六・六%が赤字経営であり、昭和四〇年一月一日から診療報酬の緊急是正等行なわれることを予定して給与上の措置を予定していたところがかなりあつたことが一応認められる。しかし、医療機関の経営が赤字であることは診療報酬引上げの理由とはなり得ても、一般的にそのための法律上の前提手続である中医協への諮問、答申を省略することを正当化する理由とはなり得ないばかりでなく、本件においては公的医療機関の中に前記のような赤字のものがあつたといつても他はなお黒字なのであるから、これにより、緊急是正の一月一日実施が遷延を許さないほどのものであつたものと断定するには足らず、他にこのような事情のあつたことを認めるに足りる疎明もない。また公的医療機関が診療報酬の緊急是正が昭和四〇年一月一日から実施されることを予定して給与上の措置を予定していたから緊急是正の実施を遷延することは許されないということは本末をてん到した議論であり、到底賛同し得ない。
また、保険医療機関等が診療報酬の緊急是正の即時実施を要求し、そのためには保険医総辞退すら辞さない態度を示唆していたことは前記認定のとおりであるが、法は厚生大臣が療養に要する費用の額の算定方法を定めるには利害関係者間の利害を調整しその利益を担保するため中医協に諮問すべきものとしているのであるから、利害関係人の一方が衆をたのみ実力をもつて自己に有利な診療報酬の改定を要求してきたからといつてこれに屈服し法律上要求される中医協への諮問及びその答申の手続を履践することなく診療報酬を改定することは、他方の利害関係人からその利益を擁護する機会を奪い、法が中医協への諮問を義務付けた趣旨を没却することになり、ひいては法治行政の原理を破壌することにもなりかねないのであつて許されない。したがつて、保険医療機関等が右のような態度を示していたからといつて、被申立人が中医協の答申を得ずに本件告を示したことを正当化するものではない。
五、よつて、本件告示が中医協の答申なくしてなされたことを正当とするような特段の事情を認めるに足りる疎明は何らないことに帰するから、結局本件告示は違法というほかはない。
第六 本件告示の効力停止は公共の福祉に重大な影響を及ぼすか
一、被申立人は、本件告示の効力が停止されると医療機関の経営の早期安定化を不可能ならしめ、ひいては保険医療に対する医療者の非協力的態度を招くと主張する。
しかし、<証拠>によれば、昭和三八年度において公的医療機関のうち三六・六%が赤字であつたが、その余はなお黒字であつたことが認められ、また証人畠山英夫の証言によつて真正に成立したと認める疎甲第一八号証の一ないし三及び同証言によれば、健康保険組合連合会大阪中央病院は昭和三九年四月から一二月までの間に合計金二三、七〇九、二三八円の純益金をあげていることが疎明されるから、経営の赤字の医療機関でも経営の合理化等の努力によりなお相当程度経営の安定化を期することが一概に不可能であるとは断定しがたく、他に本件告示の効力が停止された場合に直ちに保険医療機関等の経営が困難となり国民医療上重大な混乱を招来するおそれがあることを認めるに足りる疎明はない。また、公的医療機関の中には診療報酬の緊急是正が昭和四〇年一月一日から実施されることを予定して給与改定を予定しているものがあつたことはすでに認定したとおりであるから、かりに本件告示の効力が停止されたにもかかわらず給与改定のみを実施することになれば、そのため経営が赤字となる医療機関も出てくるであろうことは一応考えられるが、それにより国民医療全般に混乱を招来し公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあることを認めるには疎明が十分でない。
さらに、前記認定のように、日本医師会を中心とする医療者側は昭和三九年一一月ころ診療報酬の緊急是正の即時実施等を強く要望し目的完遂のためには保険医療辞退をも辞さない態度を示していたのであるが、このような医療者側の態度は四月答申後半年以上も被申立人が診療報酬の緊急是正の実施を遷延していたことに対しその早期実施を求めるためのいわば一種の政治的ジエスチヤーともみられるものであり、本件告示の効力が停止された場合に医療者側がどのような態度をとるか、したがつて公共の福祉にどのような影響を生ずるかについては、いまだ何らの疎明もない。
よつて、被申立人の右主張は失当である。
二、被申立人は、昭和四〇年一月分報酬請求書はすでに支払基金に提出ずみであるから、本件告示の効力が停止されると保険医療機関等は改めて報酬請求書を支払基金に提出することを要することになつて医療機関の膨大な事務的負担となるが、一方保険者は公共的性格を有するものであるから医療機関の犠牲において申立人ら保険者の僅少な財産的損害を防止することは公共の福祉の見地から許されないと主張する。
しかしながら、行政処分の効力停止は、本案判決確定に至るまでの暫定的措置であるから、効力停止の効果は、行政処分の効力をその停止決定の告知以後将来に向つて一時的に消滅させるにとどまり、行政処分の効力を既往に遡つて一時的に消滅させるものではないと解するのが相当である。したがつて、本件告示の効力が停止されても、それは停止決定の告知以後将来に向つて効力を有するにすぎず、それまでに療養の給付を行ない、しかも、すでに支払基金に報酬請求書を提出したものについてまで、保険医療機関等が当然に改めて報酬請求を提出しなおさなければならなくなるわけのものでもない。よつて、被申立人の右主張は失当である。
三、被申立人は、本件告示の効力が停止されると政府与党の事態収拾への努力に影響を与え、医療者側の強い反発を呼び、事態は収拾すべからざるに至るおそれがあり、その結果医療保険全般の機能をまひさせることになると主張する。
<証拠>証拠によれば、支払者代表委員は被申立人が本件告示をしたことに強く反発し、昭和四〇年一月一二日中医協の委員の辞表を提出したほか、医療保険財政対策としての健康保険法等改正案の諮問を受けた社会保険審議会への参加を拒否し、また同じく健康保険法等改正案の諮問がなされた社会保障制度審議会においても被申立人の責任追及に質疑の焦点がおかれ、医療保険財政対策として薬剤費の半額患者負担制、総報酬制の採用などを定めた健康保険法等改正案の審議は進まず、保険医療行政は行きずまりの様相を呈するに至つたので、かかる事態を収拾するため、政府与党首脳は積極的に支払者側の説得に努めていることが一応認められる。しかしながら、前記疎明によれば、政府与党首脳の事態収拾への努力は、支払者側を説得し、社会保険審議会及び社会保障制度審議会における健康保険法等改正案の審議に協力を求めることを当面の目的とするものであることがうかがわれるのであり、そうとすれば政府与党首脳の事態収拾の努力により、中医協の答申なくしてなされた本件告示についての紛争が早急に解決されるものとは限らず、またこのような事実を一応認めるべき疎明もない。もちろん、本件告示の効力が停止された場合医療者側にこれを不満とする者が現われるのであろうことは一応考えられないわけではないが、医療者側がどのような態度をとり、それが公共の福祉に重大な影響を及ぼすに至るおそれがあるかについては、いまだこれを認めるべき疎明のないこと前述したとおりである。
よつて、被申立人の右主張も理由がない。
第七 結論
右に検討してきたところにより明らかなごとく、申立人健康保険組合連合会は本件申立てにつき当事者適格を欠くから、その申立ては不適法として却下を免れず、その余の申立人らからの申立てについては、同申立人らに回復の困難な損害を避けるための緊急の必要性があることが一応認められ、かつ本件告示の効力を停止することによつて公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのあることを認めるべき疎明も、本案について理由がないと認めるに足りるような疎明もないから、右申立人らに対する関係において本件告示の効力を停止する必要があることに帰する。しかし、前述のように、行政処分の効力停止決定はその告知以後将来に向つてのみ行政処分の効力を一時的に消滅させる効果を有するものであるが、裁判所は、さらに、申立人の回復困難な損害を避けるために行政処分の効力を停止する必要性、効力停止によつて申立人の得る利益と、それによつて生ずる混乱の程度等諸般の事情を考慮し、申立人の回復の困難な損害を避けるために必要な限度内で、しかも効力停止によつて生ずる混乱ができるだけ少ないように、その裁量により、行政処分の効力を停止すべき時期、期間、方法、範囲等を適宜定めうるものと解すべきところ、本件おにいては、保険医療機関等の支払基金に対する報酬請求書の提出並びに支払基金におけるその審査及びに支払が前記のようにひと月単位で行われており、月の中途で本件告示の効力が停止された場合には保険医療機関等及び支払基金の右事務処理に少なからぬ煩雑さと混乱をきたすおそれがあることはかんがみると、本件告示の効力は昭和四〇年五月一日(すなわち、同日以降療養の給付のあつたもの)らか本案行政訴訟事件の判決確定まで停止するのが相当であると認める。
よつて、申立費用については、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九五条を適用して、主文のとおり決定する。(裁判長裁判官位野木益雄 裁判官高林克巳 石井健吾)